2019.03.01コミュニケーション
動かさなければ失われる
私たちの骨や筋肉は「動かさなければ失われる」という原理にもとづいている。
これは、今読んでいる『サピエンス異変』に書かれていることですが、まさしく、動物から進化してくる過程、ホモ・サピエンスとしてこの地球上に増え続けている過程において、かつて止まって生活していた時代があったでしょうか。
人類史全体を、午前9時から午後5時の標準的な一日の労働時間で表してみると、農業革命が起きるのが午後4時58分。そして、4時59分台の終わり近くになっても、小規模な都市でさえ、建設されていず、なんと産業革命が起きるのは、4時59分58秒。
今私たちが使っているテクノロジーは、くしゃみをするほどの時間で生まれて消えるのだそうです。
人体は、長い間に無意識レベルで環境にあった変化、進化をしてきました。ところが、産業革命以降、自らの手や足を動かさずして生きていけるという中で、人間の身体の変化はついていっていない、とも言えます。
無意識、言い換えると人類が積み上げてきた過程、の中で得てきた足や身体が今のオフィスワークや車や靴の生活・・・によって悲鳴を上げているというのが現状のようです。
コミュニケーションの基本は身体、とよく申し上げるのですが、人としてコミュニケーションをするということは、きっと危機を伝えたり、共に協力してえさをとったり、子育てをしたり、という中で、まずは身体を使って伝えようとしたはず。
それが言葉というものができ、お話できるようになったのでしょう。
そう考えたとき、まずは、身体が先。伝えようとしていることを身体から発することで、伝わりあうはず。
言葉だけ、つまり口先だけでいくらいいことを言ったりしても、どうも齟齬があるような感じがするのは、ホモサピエンスとしての無意識=積み上げてきた感覚で、言葉と身体が伝えようとしていることが異なる、と教えてくれるのでしょう。
この時間軸で考えると、1万年前の農業革命ですらたった2分前、この250年前の産業革命にいたっては、2秒前、では、これからAIの時代、ホモサピエンスはどのようにこの身体を適合させていくのでしょう。
日本語は特に身体が動かない文化と共に成り立ってきました。オーバーアクションの身振り手振りをみるとどこか恥ずかしかったり、品がないと思ってしまう文化もまだまだ色濃くあります。
しかしながら、動物としてホモサピエンスとして進化してきた身体をさて置いて、言葉を話そうとしてもそれは違うのだと思います。
もっと身体に還ること、身体からのコミュニケーションをすることで、本来持つべきエネルギー、活力が湧いてくるのではないでしょうか。
動いて話す、動いて語る、もっと全身を動かしてコミュニケーションしたいものです。
自分の身体のためにも人類の未来のためにも。