2019.02.07自然
蛍雪の功
接遇顧問をしている介護施設であるおばあちゃまとお話しました。
御年93歳ですが、シャキッとされていて、他のもっと若い利用者様の面倒も見ていらっしゃり、またとても美しくお話の仕方も素敵な方なのですが、なるほど、と思ったのは、小さい頃からご本が大好きで、ともかくも本を借りては読んでいらしたそう。
岡山の山間で育たれたそうですが、夜はお母さまがとても神経質な方で、灯りをつけて本を読んだりできないので、なんとか読みたいと思い、夏は蛍を籠の中に集めて蚊帳の中に入れて本を読まれたそう。
冬は、窓の外に積もる雪明りで本を読みあさりました、と。
まさに蛍雪の功。
今もシャキッといらっしゃる姿を拝見していると、さもありなん、と思います。
快適な環境でぬくぬくと有り余るモノに溢れて生活していると、そういう枯渇の中から生まれる意欲のようなものや工夫、努力や意志力がどうも腑抜けになっているなあ、と改めて感じます。
モノや情報が洪水のように渦巻く中で、溺れてしまうのではなく、人としての本質をみつめつつ、大事なことは何なのか、見据えて行動できる人となりたいもの、と思います。
蛍雪の功というのは、晋時代のお話に由来する言葉だそうですが、昭和の初め頃はまだまだそういう時代でもあって、その後の時代の変化の激しいことにも驚かされます。
よく祖母が、「小さい頃は御堂筋のガス灯に灯りをつけるお仕事の方があって、高い梯子をトントンと登ってガス灯をつけて、また降りて、また次のガス灯に梯子をかけて登ってしていた、そんな時代から月まで行く時代になって、わて(私)はえらい時代に生きてきたわ。」と話していました。
次へ、次へという意欲が今の時代を作り上げてきたのだと思います。ただ、これ以上ないくらいに溢れてきたモノや情報の中で一人一人の意欲はどこへ向かうのでしょうか。枯渇がもたらす次へのすざまじいエネルギーはどうなるのでしょう。
今、私たち人類ホモ・サピエンスを問い直す本などがありますが、人類としての原点は何なのか、改めて見つめ直していくべきときなのでしょうね。
AIが進化していくであろうからこそ、ホモ・サピエンスとしての人間力、本当に問われますね。