2019.01.10感性
五感と語感
石がころころ。岩がごろごろ。
お星さまがキラキラ。太陽がギラギラ。
このオノマトペ(擬声語・擬態語)で表される様子は、誰に教えてもらったわけでもないのに、その様子は日本語がわかる方なら想像がつきます。
ころころとごろごろの違いなんて、説明しろ、と言われると、ごろごろの方が大きい感じ、と感じでしか答えにくいですね。
また、ころころは転がる様子だけでなく、丸々としてかわいい様子や、話がどんどん変わってゆく様や鈴の音のような高く丸い音等にも使います。
よくよく考えてみれば、音に対する共通の感覚があるからこそ、オノマトペを聴いて、共通の認識が生まれます。
友人がドイツ人の友達に「ふわりふわり」ってどんな感じに思う?と聞いてくれましたが、「う~~ん。痛いって感じ?」と。ふわりふわりという音の持つ語感がドイツ語を使う方には通じないのだなあ、と改めて思いました。
日本人だからわかる、ということではなくて、日本語の奥にそういう感覚があって、共通の感覚が生まれるのでしょう。
韓国語にもオノマトペは多くあるそうですし、他の言語にもあるけれど、それはその言語を話す方々の語感が五感と共通しているからこそわかるのでしょうね。
石がころころ転がるの、ころころを適当に変えて、なろなろししたとしましょう。
堅く小さいイメージだったものがちょっと柔らかくなって溶け出してきたようなイメージさえします。
不思議だし、とっても面白いものです。
反対に言葉の音の共通の感覚に基づいてオノマトペを生み出せば、共通の認識が生まれるはずですから、いろいろ作る、創造することが可能ということにもなります。
ツンデレなんて言葉もツンツン+デレデレから来ているわけで、日本語の造語能力は素晴らしいと言えます。
生み出すということは、創造性=想像性ですから、今のところAIと人を大きく分ける一番の能力だと思います。
また、この語感にある五感が豊かに磨かれてこそ、言葉への感性につながりますね。
モノ・コト・ヒトの奥にあるものを豊かに想像しつつ、新たなものを創造してゆく力を磨き、それを豊かな言葉として互いに発信しあってゆければ、もっと本当の豊かな社会になれるのではないでしょうか。
皆様はどうお考えでしょうか。