2018.12.23コミュニケーション
Why?
Why? なぜ?を考えること。
これは、得意な方もあるかもしれませんが、常にこの「なぜ」を考えることに取り組んでいらっしゃる方は少数派なのでは、と思っています。
情が豊かな日本語ではありますが、「なぜ」を深めてゆく文化を築いてこなかったのでしょうか…。
「哲学」なんていうと、ひゃ~難しいそう!そんなの難しい~!とか、小難しく考えるヒトになりたくない、なんていう言葉が聴こえてきそうですが、「なぜ」を深める=哲学力だと思っています。
昨日は、介護施設の研修でその施設の基本方針の中に「新聞を読みます」ということが掲げられているので、「なぜ、新聞を読むのか」ということについて少し考えてもらいました。そして出てきた答にさらになぜ?と問いかけてみました。
正解があるわけではありません。
それぞれが、その「なぜ」を考えるプロセスが大事なのです。
知識教育では、どうしても〇か×がつくがゆえに、この答は、〇なのか、×なのか、ということばかりを気にしがちです。
しかし、この世界の中で〇か×がつかないものの方が圧倒的に多いでしょう。
考えること、考えを深めてゆくこと、正解のないものをあれこれと考えてゆくこと、それが生きる力につながります。
ヒトの考え方を聴く力にもつながりますし、多様性を身につけることにもつながります。
情報が溢れるほど存在し、受け身になることが多い現在、だからこそ敢えて考えるということをしなければ、流されるままになります。
考える、それを言葉にする、コミュニケーションする、語り合う、行動する、その繰り返しの中で、ヒトは成長してゆくのだとも言えます。
まずは、「なぜ」を自分に問う、そんなところから始めたいものです。