2018.12.22感性
季節と身体と言葉
今日は冬至。
柚子湯に入られる方、小豆粥や「南瓜の炊いたん」を召し上がる方もあるでしょう。
または、んのつく食べ物を召し上がる方もあるでしょう。
南瓜の炊いたんは、関西弁ですが、かぼちゃの煮たものというような意味ですね。
四季が移り行く日本は、季節に合わせて身体がうまく適応してゆけるように「食」を大事にしてきました。医食同源ともいわれますが、身体はまずは口に入れる食べ物で成り立っていますから、当然のことかもしれません。
しかし、現在のように季節関係なく並ぶものが溢れる中で、何を取捨選択するかというのは、とても自由になりましたが、、反対に身体の声や自然の声を聴けなくなっているのでは、ということも感じます。
陽が一番短くなることから、一陽来復といって、この日を境に陽に転じ、運気が上がってくるとしたり、にんじん、大根等、んがつく食べ物を食べることで運を呼び込んだり。また、ゆずは融通が利く、冬至は、湯治として、柚子湯になったり、といい運気へ向かうための手法を知っていたのですね。
また、それは縁起を担いでいるだけでなく、冬場の身体に大切なものをきちんと摂ることにもつながっています。
そのように自分の身体ときちんと向き合って声を聴けていたのが、古の人々なのかと想像しています。
よく祖母が、「今身体が欲しているものを食べたらいいのよ。」とよく言ってくれていましたが、本当に身体が欲しているものを聴き分けられる感性を持たないといけませんね。
よく聴けないと、それこそ身体に悪いもの三昧なんてことにもなりかねません。
改めてその知恵のすごさを思うとき、ヒトも一自然物。大地の上でしか生きられないわけですから、自然の声、身体の声をよく聴く感性を育てる教育をしないといけないと思います。
自然を感じる感性なくして、ヒトを感じる力を育めるはずもないですものね。
ヒトを感じられずにコミュニケーションは成り立ちません。
まず、今日くらい柚子の爽やかな香りに包まれながら、身体をリラックスさせて、南瓜のほかほかとした温もりに感謝を持つことから始めたいものですね。