2018.12.02言葉
言の葉
言葉と一言でいっても、外に出てくる言葉と内にある言葉とあります。
日々、無意識に感じたり、考えたりしていることも言葉。
それは、内なる言葉と言えます。
自分自身との対話も言葉によってしているわけですから、内なる言葉です。
今、よくコミュニケーション力が大事と言われます。
外に出てくる言葉を手法として学ぶことも大事ですが、内にある言葉を磨くことはもっと大事なことです。
外に出てくる言葉は氷山の一角。
氷山の海の下にある部分がその一角を支えているわけです。
支えが大きくなればなるほど、豊かになればなるほど、外に出てくる部分は大きく豊かになります。
内なる言葉が豊かになればなるほど、外に出てくる言葉も豊かになります。
日々、どのように感じ、何を考えて、どういう想像をしているのか、という内なるものを言葉としてきちんと意識していかないと、いざ語ろうと思っても中身を語れないことになります。
チコちゃんの「ボーっと生きてんじゃねえよ!」ではありませんが、
ボーっとしていては、実際自分が何をどのように考えているのか、というのは意外にわからないものです。
感じたり、考えたりしていることが漠然としていたり、またマイナスの言葉のオンパレードでは、外に出てくる言葉もまた然り。
美しく豊かな品格ある言葉が出てくるべくもありません。
昨日、セミナー中に、営業職の方が、じゃあどのような場面でどういう言葉を使えばいいか、っていうのはどう判断するのですか?と質問がありました。
相手との関係性、そのときと場合に応じて千差万別になります。
どの言葉が一番よいチョイスなのか、それは内なる言葉を豊かにし、外なる言葉にしてゆく体験を重ねないとできないものです。
だからこそ、言葉は多様性を身につけないと出てきません。
多くの振れ幅を持つことで、的確な言葉を選択できるわけです。
例えば、大阪弁で言えば、「何言うてまんねん。ほんまにそんな無茶いうたらあきまへんわあ。」等のどんと相手にぶつける言い方から、「ごもっともなご意見ではございますが・・・」と丁寧に言う言い方まで振れ幅、多様性を持つことです。
モノ・コト・ヒトに対して、ボーっと見ているのではなく、観ること。
そして、それを言葉にしてゆくこと。
日本の文化には、歌がありました。
恋や苦しさや喜びや様々な心を歌にこめて詠んできた歴史があります。
その物種を芸術的に表出したのが、言の葉であり、歌。
「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなれりける」紀貫之が古今和歌集の仮名序で記しました。
言の葉は、天地をも動かし、男女の仲を和らげ、鬼神をも哀れと思わせる力のあるものです。
感性・思考力・想像性といった心、物種(内なる言葉力)を高めて豊かな言の葉を紡ぎ、互いに信頼関係を結んでゆきたいものです。
日々、無意識に感じたり、考えたりしていることも言葉。
それは、内なる言葉と言えます。
自分自身との対話も言葉によってしているわけですから、内なる言葉です。
今、よくコミュニケーション力が大事と言われます。
外に出てくる言葉を手法として学ぶことも大事ですが、内にある言葉を磨くことはもっと大事なことです。
外に出てくる言葉は氷山の一角。
氷山の海の下にある部分がその一角を支えているわけです。
支えが大きくなればなるほど、豊かになればなるほど、外に出てくる部分は大きく豊かになります。
内なる言葉が豊かになればなるほど、外に出てくる言葉も豊かになります。
日々、どのように感じ、何を考えて、どういう想像をしているのか、という内なるものを言葉としてきちんと意識していかないと、いざ語ろうと思っても中身を語れないことになります。
チコちゃんの「ボーっと生きてんじゃねえよ!」ではありませんが、
ボーっとしていては、実際自分が何をどのように考えているのか、というのは意外にわからないものです。
感じたり、考えたりしていることが漠然としていたり、またマイナスの言葉のオンパレードでは、外に出てくる言葉もまた然り。
美しく豊かな品格ある言葉が出てくるべくもありません。
昨日、セミナー中に、営業職の方が、じゃあどのような場面でどういう言葉を使えばいいか、っていうのはどう判断するのですか?と質問がありました。
相手との関係性、そのときと場合に応じて千差万別になります。
どの言葉が一番よいチョイスなのか、それは内なる言葉を豊かにし、外なる言葉にしてゆく体験を重ねないとできないものです。
だからこそ、言葉は多様性を身につけないと出てきません。
多くの振れ幅を持つことで、的確な言葉を選択できるわけです。
例えば、大阪弁で言えば、「何言うてまんねん。ほんまにそんな無茶いうたらあきまへんわあ。」等のどんと相手にぶつける言い方から、「ごもっともなご意見ではございますが・・・」と丁寧に言う言い方まで振れ幅、多様性を持つことです。
モノ・コト・ヒトに対して、ボーっと見ているのではなく、観ること。
そして、それを言葉にしてゆくこと。
日本の文化には、歌がありました。
恋や苦しさや喜びや様々な心を歌にこめて詠んできた歴史があります。
その物種を芸術的に表出したのが、言の葉であり、歌。
「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなれりける」紀貫之が古今和歌集の仮名序で記しました。
言の葉は、天地をも動かし、男女の仲を和らげ、鬼神をも哀れと思わせる力のあるものです。
感性・思考力・想像性といった心、物種(内なる言葉力)を高めて豊かな言の葉を紡ぎ、互いに信頼関係を結んでゆきたいものです。