2018.05.22ブログ
それって謝罪じゃないよね。
このところ、テレビでいろいろな謝罪を目にします。
しかし、それって謝罪になってないよね、と感じることもしばしば。
せっかくの会見なのに、理解を得られず、ますます怒りの炎に油が注がれてしまう、それ以上に呆れられてしまう、といったケースも散見されますね。
長年吉本で芸人の方の謝罪会見等を担当され、現在謝罪マスターとしてもご活躍中の竹中功氏のご講演を伺ったとき、被害者のイカリ⇒リカイになってこそ、初めて謝罪が通じたことになる、とお話されていました。
そもそも被害者の心がわからないからセクハラ、パワハラ、モラハラ等になるのでしょう。
DVをしていた方が、自分の行為をDVと思っていなかった、とおっしゃいますが、まさにそのことですね。
ということは、謝罪といっても、自分の言動、行為について、その奥にある心について深い反省がすぐできるべくもないのでしょう。
世間が騒ぐから、謝罪しておこう、ということで謝罪をするから、「全くわかってない」と火に油を注ぐ結果になるでしょうね。
相手を慮る、忖度する、ということが美徳とされてきた文化が、反対に権力や力を持つものが「相手に解かれよ!」と強制することにつながってきたのでしょうか。
「言わない、言えない、言わせない」は、結局相手を理解しないことにつながる、ということを強く感じる今日この頃です。
しかし、それって謝罪になってないよね、と感じることもしばしば。
せっかくの会見なのに、理解を得られず、ますます怒りの炎に油が注がれてしまう、それ以上に呆れられてしまう、といったケースも散見されますね。
長年吉本で芸人の方の謝罪会見等を担当され、現在謝罪マスターとしてもご活躍中の竹中功氏のご講演を伺ったとき、被害者のイカリ⇒リカイになってこそ、初めて謝罪が通じたことになる、とお話されていました。
そもそも被害者の心がわからないからセクハラ、パワハラ、モラハラ等になるのでしょう。
DVをしていた方が、自分の行為をDVと思っていなかった、とおっしゃいますが、まさにそのことですね。
ということは、謝罪といっても、自分の言動、行為について、その奥にある心について深い反省がすぐできるべくもないのでしょう。
世間が騒ぐから、謝罪しておこう、ということで謝罪をするから、「全くわかってない」と火に油を注ぐ結果になるでしょうね。
相手を慮る、忖度する、ということが美徳とされてきた文化が、反対に権力や力を持つものが「相手に解かれよ!」と強制することにつながってきたのでしょうか。
「言わない、言えない、言わせない」は、結局相手を理解しないことにつながる、ということを強く感じる今日この頃です。