2018.05.16ブログ
どうするの?つづきのつづき…
どうするの?連続投稿の最後です。
言葉にしない阿吽の呼吸や共感というのは、とても大事です。
しかし、言葉は更に大事です。
最後は言葉。私はグローバル化には反対ですが、この流れは止まりません。
また諸外国の方々が日本にもっともっと住むようになる流れも止まらないでしょう。
日本らしさ、日本の素晴らしさも残してゆきたいなら、それは言葉で伝えないとわかりません。
ずいぶん前にTVでドイツの古い教会に日本のお塩の芸術家の方が作品を描かれる、という催しがあったそうで、その取材された様子が放映されていました。
そのときに、とてもショックを受けました。
というのは、訪れたドイツ人、日本人の方にインタビューをしているのですが、聞かれたドイツ人の方々は、小学生くらいのお子様まできちんと口々にご自身の意見を語られます。
「この古い伝統ある確固とした教会に、お塩という移ろいやすいものを芸術として表してしていて、その対比が素晴らしい。」等など。
それに反して、日本人の方々は、「素晴らしい」「きれい」「美しい」等など。
何が素晴らしくて、何がきれいで、どう美しいか、言わない?言えない?のです。
同じ敗戦国でありながら、戦争の反省、総括をしっかりと行った国と行えなかった国との違いをまざまざと見せられた感がありました。
自然豊かな国ゆえに感性を豊かに育めてきた日本人、しかし、その感性を語り得る言葉力があまりにも退化してきているのではないでしょうか?
「かわいい」「超◎◎」という抽象言葉を超えて、その中身、具体を語る言葉力を育まなければ日本語の未来はない、と思うのです。
「やまとうたは人の心をたねとして万の言の葉とぞなれにける」紀貫之の仮名序の一文ですが、まさに人の心をたねとして、言葉を茂らせてゆくことが大事ですね。
葉を茂らさないで、豊かな種があるんだよ、といってみても信用されません。
豊かな日本語をもっともっと語り合いましょう。何を感じ、どう思い、何を考えているのか、きちんと語り、相手のことも聴きたいものです。
豊かな日本語を未来へ継承してゆくために。
言葉にしない阿吽の呼吸や共感というのは、とても大事です。
しかし、言葉は更に大事です。
最後は言葉。私はグローバル化には反対ですが、この流れは止まりません。
また諸外国の方々が日本にもっともっと住むようになる流れも止まらないでしょう。
日本らしさ、日本の素晴らしさも残してゆきたいなら、それは言葉で伝えないとわかりません。
ずいぶん前にTVでドイツの古い教会に日本のお塩の芸術家の方が作品を描かれる、という催しがあったそうで、その取材された様子が放映されていました。
そのときに、とてもショックを受けました。
というのは、訪れたドイツ人、日本人の方にインタビューをしているのですが、聞かれたドイツ人の方々は、小学生くらいのお子様まできちんと口々にご自身の意見を語られます。
「この古い伝統ある確固とした教会に、お塩という移ろいやすいものを芸術として表してしていて、その対比が素晴らしい。」等など。
それに反して、日本人の方々は、「素晴らしい」「きれい」「美しい」等など。
何が素晴らしくて、何がきれいで、どう美しいか、言わない?言えない?のです。
同じ敗戦国でありながら、戦争の反省、総括をしっかりと行った国と行えなかった国との違いをまざまざと見せられた感がありました。
自然豊かな国ゆえに感性を豊かに育めてきた日本人、しかし、その感性を語り得る言葉力があまりにも退化してきているのではないでしょうか?
「かわいい」「超◎◎」という抽象言葉を超えて、その中身、具体を語る言葉力を育まなければ日本語の未来はない、と思うのです。
「やまとうたは人の心をたねとして万の言の葉とぞなれにける」紀貫之の仮名序の一文ですが、まさに人の心をたねとして、言葉を茂らせてゆくことが大事ですね。
葉を茂らさないで、豊かな種があるんだよ、といってみても信用されません。
豊かな日本語をもっともっと語り合いましょう。何を感じ、どう思い、何を考えているのか、きちんと語り、相手のことも聴きたいものです。
豊かな日本語を未来へ継承してゆくために。