2018.05.15ブログ
どうするの?つづき…
「言わない」「言えない」「言わせない」の果ては、言葉を失ってしまうことにつながるのでは、というお話を昨日いたしました。
謙虚さという美徳が色濃くDNAに眠る日本人。
そもそも主語をなるべく言わない、という日本語がそうさせるのでしょうか。
何とかファーストではなく、自分以外の方を優先させる文化を築いてこられたのもこの日本語の特質ゆえではないでしょうか。
先日お行儀を教えていらっしゃる先生にお話を伺って感動したのは、自分が占拠する空間をなるべく小さくして、相手の空間を乱したり、分け入らないようにすることが根本ということでした。
なるほど。
割り箸を割るときも、左右に割るのではなく、てこの原理を応用して、縦方向に割る。
そうすれば、相手の空間を邪魔しないで済むと。
そういえば、道に迷ったとき、聞くのでも「ここはどこでしょう。」と聞きますね。
英語ですと、「Where am I?」私はどこにいるの、ですね。
英語では主体はあくまでも私になります。
私、私と「我」を押し通さない日本の文化は、本当に素晴らしいと思います。
むしろ、言いたい放題、言った者勝ちには辟易とします。
しかし、しかしなのです。
この「私」という存在があまりにも認められなくなっていませんか、ということなのです。
自己肯定感の低さは今更統計を見なくても皆様ご存知でしょうが、世界の高校生に「自分は素晴らしい存在である。YesかNoか」の質問で、Yesと答えた高校生が世界の平均が90%を超える中で、日本は、44.4%だったそうです。
ご先祖様という考え方をしっかり根付かせてきた日本なのに、自分という存在が今の自分だけとしか捉えられなくなってきていることも一因なのでしょうか。
敢えていうなら、自分という脈々と受け継がれた生命の上になりたった存在の本当の素晴らしさに気づいた上で、しっかりとその自分の感じること・思ったこと・考えたことを言っていく、ということをしなければ、と思うのです。
さて、つづきはまた明日・・・
謙虚さという美徳が色濃くDNAに眠る日本人。
そもそも主語をなるべく言わない、という日本語がそうさせるのでしょうか。
何とかファーストではなく、自分以外の方を優先させる文化を築いてこられたのもこの日本語の特質ゆえではないでしょうか。
先日お行儀を教えていらっしゃる先生にお話を伺って感動したのは、自分が占拠する空間をなるべく小さくして、相手の空間を乱したり、分け入らないようにすることが根本ということでした。
なるほど。
割り箸を割るときも、左右に割るのではなく、てこの原理を応用して、縦方向に割る。
そうすれば、相手の空間を邪魔しないで済むと。
そういえば、道に迷ったとき、聞くのでも「ここはどこでしょう。」と聞きますね。
英語ですと、「Where am I?」私はどこにいるの、ですね。
英語では主体はあくまでも私になります。
私、私と「我」を押し通さない日本の文化は、本当に素晴らしいと思います。
むしろ、言いたい放題、言った者勝ちには辟易とします。
しかし、しかしなのです。
この「私」という存在があまりにも認められなくなっていませんか、ということなのです。
自己肯定感の低さは今更統計を見なくても皆様ご存知でしょうが、世界の高校生に「自分は素晴らしい存在である。YesかNoか」の質問で、Yesと答えた高校生が世界の平均が90%を超える中で、日本は、44.4%だったそうです。
ご先祖様という考え方をしっかり根付かせてきた日本なのに、自分という存在が今の自分だけとしか捉えられなくなってきていることも一因なのでしょうか。
敢えていうなら、自分という脈々と受け継がれた生命の上になりたった存在の本当の素晴らしさに気づいた上で、しっかりとその自分の感じること・思ったこと・考えたことを言っていく、ということをしなければ、と思うのです。
さて、つづきはまた明日・・・