2018.02.17ブログ
具体的な言葉に出さなきゃ、わからない
平昌オリンピックでの羽生選手の復活を成し遂げた演技には心が躍りましたね。
羽生選手は、小学校2年生のときから付けている研究ノートがあるそうです。自分の身体や心の動きをノートにつけることで、自分をきちんと把握していらっしゃるとのこと。
ミスした時ほど話し、話すことで課題が明確になるそうです。
書き言葉なり話し言葉にすることで初めて理解ができる、とも言えます。
日本語というのはとても情的な言葉が多く、論理を明確にするには相当意志力を働かせないと難しい言葉でもあります。
「今のジャンプはよかった。」等と言っても次には決してつながらないもの。
どこがどういう状態でどうよかったのか、反対に失敗したときは、何がどういう状態だったから失敗したのか、きっとエッジの動き、全身の筋肉の動き1ミリまでも詳細に把握できてこそ、次への成功へとつながるのでしょう。
私たちは羽生選手のようなことはとてもできませんが、日々様々なことを感じたり、考えたり、行動したりしています。
そのときにどう感じ、どう考えているか、意外に自分で自分がわかっていないことが多くあります。
先日、公演が終わった後、感想を伺うと「とてもよかった。」とおっしゃる方があり、「どこがよかったですか?」と伺うと、「全部よかった。」とお答え下さいました。
よかったとおっしゃる言葉はとてもありがたく感謝なのですが、どこにどう感動してくださったのか、どういう点が特に心に響いた、という言葉にしていただけると、公演する側もまた次へとつなげることができます。
具体的に詰めて考える、明確に深めてゆく、それを具体的に言葉化するということがなければ、情的な言葉がぐるぐるすることになりがち。
よかった、美しい、すごい等の感動の中身を言葉化できるようにしてゆきたいものですね。
羽生選手は、小学校2年生のときから付けている研究ノートがあるそうです。自分の身体や心の動きをノートにつけることで、自分をきちんと把握していらっしゃるとのこと。
ミスした時ほど話し、話すことで課題が明確になるそうです。
書き言葉なり話し言葉にすることで初めて理解ができる、とも言えます。
日本語というのはとても情的な言葉が多く、論理を明確にするには相当意志力を働かせないと難しい言葉でもあります。
「今のジャンプはよかった。」等と言っても次には決してつながらないもの。
どこがどういう状態でどうよかったのか、反対に失敗したときは、何がどういう状態だったから失敗したのか、きっとエッジの動き、全身の筋肉の動き1ミリまでも詳細に把握できてこそ、次への成功へとつながるのでしょう。
私たちは羽生選手のようなことはとてもできませんが、日々様々なことを感じたり、考えたり、行動したりしています。
そのときにどう感じ、どう考えているか、意外に自分で自分がわかっていないことが多くあります。
先日、公演が終わった後、感想を伺うと「とてもよかった。」とおっしゃる方があり、「どこがよかったですか?」と伺うと、「全部よかった。」とお答え下さいました。
よかったとおっしゃる言葉はとてもありがたく感謝なのですが、どこにどう感動してくださったのか、どういう点が特に心に響いた、という言葉にしていただけると、公演する側もまた次へとつなげることができます。
具体的に詰めて考える、明確に深めてゆく、それを具体的に言葉化するということがなければ、情的な言葉がぐるぐるすることになりがち。
よかった、美しい、すごい等の感動の中身を言葉化できるようにしてゆきたいものですね。