2018.02.01ブログ
種が大事
詩を朗読するとき、あるいは話す時に、「もっと感情を込めたらいいんですよね」と言われる方があります。
ハッキリ申し上げると、それはNO!です。
言葉に感情を込めようとすると気持ち悪いことになります。逆なんですね。
一見上手に読まれる方の中にそういう方がしばしばいらっしゃいます。
紀貫之が古今和歌集の仮名序で「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなれりける」、と言ったように、まずは言葉の元の《種》が大事。
その方の《種》がどういうものか、が問われます。
言葉という葉を立派に見せようとしても、種が豊かなものでないと、豊かな茂りとはなりません。
言葉の元の《種》を豊かにすること、すなわち、言葉の奥を感じること、考えること、想像する心、身体になっていれば、おのずと豊かな声となり、表現となります。
ハッキリ申し上げると、それはNO!です。
言葉に感情を込めようとすると気持ち悪いことになります。逆なんですね。
一見上手に読まれる方の中にそういう方がしばしばいらっしゃいます。
紀貫之が古今和歌集の仮名序で「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなれりける」、と言ったように、まずは言葉の元の《種》が大事。
その方の《種》がどういうものか、が問われます。
言葉という葉を立派に見せようとしても、種が豊かなものでないと、豊かな茂りとはなりません。
言葉の元の《種》を豊かにすること、すなわち、言葉の奥を感じること、考えること、想像する心、身体になっていれば、おのずと豊かな声となり、表現となります。